COCOON 今日マチ子

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今日マチ子の作品。センネン画報+10yearsの次に読む。

戦争モノ。看護隊として戦地に赴くことになった15、6歳の少女たちの姿が(そして少女から大人への移り変わりが)、蚕の繭(cocoon)のイメージに包まれて描かれる。

 

帯にある「繭(空想)がわたしを死(現実)から守ってくれる」というフレーズが、この作品の多くを端的に言い表していると思う。

彼女たちは蚕だ。15、6歳の少女たちにとって、むきだしの戦争(を含む現実)を直視し、そこを生き抜くのはあまりに過酷すぎる。そこには肉塊、負傷兵、血、傷口、蛆虫、死体処理、疲弊、衰弱、弾丸、強姦、餓死、集団自決、そして友人の喪失(裏切り)がごちゃまぜになって詰まっている。生き地獄。

そんな地獄絵図の中でなんとか正気を保つため、彼女たちは白い糸を吐いて繭を作る(これはサンにとってはマユの存在そのものと思う)。その繭は彼女たちを現実から隔て、優しくくるむ。その想像の繭の中にいるかぎり、そのおまじないが有効なかぎり、彼女たちは安心安全であり、健やかな少女のままでいられる。

しかし蚕が成虫になるためには、自らの手でその繭を壊さなければならない。少女(サン)が大人になるためには、新しい世界に生きるためには、自分で作った繭を破らなければならない。

 

けれどその繭は、不要で余計なものだったわけではない。蚕にとって幼虫、さなぎ、成虫、その全ての段階が必要不可欠なものであったように。

そしてこのことは、戦争というモチーフを離れても言えることだと思う(あるいは少年少女たちはいつの時代も、彼/彼女なりの戦争の中を生きているのかもしれないけれど)。大人になるために、人々はみな十人十色の繭を作り、さなぎになる。一種の現実逃避なのかもしれない。でもそれは現実に立ち向かうための、あるいは新たな現実に飛び立つための現実逃避であって、さなぎの中の幼虫は、その間じっと養分を蓄えているのだ。

いつ、どんなタイミングで羽化するのか、それは誰にも分からないけれど。

(追記:作品のおわりに作者による解説を兼ねたあとがきがある)