pink 岡崎京子

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岡崎京子のpink。リバーズ・エッジの次に読む。

軽やかなユミちゃんを巡る悲劇が描かれている。

ユミちゃんは、欲しいものはすぐに手に入れないと気がすまない。我慢や諦めなんて言葉は彼女の辞書に載っていない。ただのワガママ娘だと言ってしまえばそこまでだけれど、彼女には不思議な軽やかさがある。

普通の人々は目標や夢や欲しいものがあってもそれをなかなか手に入れられない。大体の場合は妥協したり諦めたりして窮屈な生活を送っている(ユミちゃんの同僚のOLたちなどがそうだ)。どんなにワガママな人でも、ほとんどの場合欲しいものの前で足踏みし、立ち止まる。しかしユミちゃんはそんな普通の人々を傍目で見ながらこう思う。欲しいのなら手に入れればいいのに。そうして彼女は軽々と欲しいものへ飛びかかり、お目当の品をゲットする。ピンクのバラ、服飾品、ワニ、熱帯植物、狙った獲物は逃さない。彼女は自分の欲望に忠実なのだ(その意味で彼女は動物的であるとさえ言える)。その身軽さがユミちゃんという人間に微笑ましい魅力を与えている。

しかも彼女は、欲しいものを手に入れるために他人に迷惑をかけるようなこともない。彼女はあくまで自分の力でお目当の品をゲットしている。自分自身に対してはワガママだけれど、他人に対しては一つもワガママではない(それどころかハルオにパジャマをプレゼントしたりして気前のいいところさえある)。自分の稼いだお金で自分のしたいようにしているだけで、それ自体にはなんの罪もない。

しかしそんな無邪気なユミちゃんが悲劇に巻き込まれる。ワニ、ハルヲ(と南の島)という大切なものを次々と奪われていく。彼女は(少なくとも意図的には)何も悪いことなんてしておらず、ただ単に自分の欲望に従って楽しく生きているだけなのに。なぜ悲劇はなんの罪もない彼女を襲ったのか。その疑問には作中の言葉が答えてくれる「この世では何でも起こりうる。何でも起こりうるんだわ、きっと」。

でもここまで書いてみて思ったのだけれど、この物語は本当に悲劇なのかしら。確かに最愛のワニを失ったりハルヲ(と南の島)を失ったりと、ユミちゃんにとって不幸な出来事が立て続けに起こっている。けれど、あのユミちゃんだったらこんな悲劇さえもひらりと飛び越えて(もちろんしばらくはショックを受けるだろうけど)、またすぐに新たなスリルとサスペンスを求めていくのではないだろうか。ラストシーンを見ながらそんなことを思う。