四月の永い夢 中川龍太郎

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中川龍太郎四月の永い夢

主人公初美の喪失とその受容が、こじんまりとした邦画的な品の良さ、美しさでくるまれて描かれる。

あらすじは次のようなもの。3年前に初めての恋人を突然の(自)死によって喪った初美は、その喪失感のため就いていた教職も辞し、そば屋でアルバイトをする日々を送っている。そんなある夏の日、彼女のもとに恋人からの手紙があるとの報知を受ける。教え子との遭遇や旧友との再会、バイト先の常連客からのアプローチなどもあり、未だ喪失の中に沈んでいる(あるいは永い夢の中にいる)彼女の日常は徐々に動き始める……。

率直に言ってしまうと、佳作だけれどえぐみに欠ける、優等生的な邦画だという印象を受けた。

主演朝倉あきの透き通るような正統派の美しさ(仲間由紀恵を想起したし、彼女のさまざまな衣装や表情を映す様子は岩井俊二的なところがある)、脇役たちとの掛け合い、無理なくかつ程よいテンポで置かれる伏線とその連なり、伏線を余すところなく積み重ねて、話的にも心情的にもクライマックスにもっていく筋の運び、こじんまりとした町や手ぬぐい工場、淡く美しい風景の映像、それら全てが程よい具合に、あたかもこの手のヒューマンドラマのお手本であるかのように配置されていて、その意味で佳作だと思う。

けれど、良くも悪くも佳作であって、それ以上のえぐみというか、突き抜けたところ、徹底したところが欠けているように思えた。それは特に、この映画のモチーフである喪失とその受容を描くにあたって顕著で、3年の間、心のうちに抱えていた喪失感、そして(実は死の4ヶ月前に別れていたという)秘密を、恋人の実家で、意を決して恋人の母親に打ち明け、その母親から「ある時期まで、人生とは何かを獲得していくものだと思っていたけど、実は人生とは何かを喪っていくものなんじゃないかしら」というお言葉をいただき、そうしてさめざめと泣く、心のうちに溜め込んでいたものを涙と言葉でようやっと吐き出すことができ、故人と折り合いを付け、そうして少しずつ前を向いていく……。

大切な人の喪失と受容、確かにそうなのかもしれない。初美はこの3年の間、描かれこそしなかったけれど折に触れて喪失感に沈んでいた(というよりも喪失感という永い夢の中を生きていた)のだろうし、おそらくこの先も以前ほどではないにしろ、彼の喪失を思い出し、それに向き合わざるを得ないだろう(しかしそれに真正面から向き合えるようになったというのが、あるいは映画に即して言うならば、彼の最後の手紙に対して返書を書けるようになったというのがこの映画の趣旨だろうけれども)。しかしそこに至るまでの様子があまりにも淡くあっさりと描かれているような気がしてしまう。露骨に言ってしまえば、印象が薄く、観客に訴えるものが弱い。大切な人の喪失と受容というこの主題について、多少の品のよさや破綻は構わないから、もっともっと注力して、徹底的にその様子を描いてもらいたいと思ってしまった。

(これを書いていて思ったのだけれど、この作品は岩井俊二作品に、特にラブレターによく似ているように思った。主題や女優の映し方や叙情、風景の使い方など

また同じ喪失、その受容というテーマだと、mina-mo-no-gramなどはより真正面からそれを描いているように思った)